北条高時年譜

北条高時 PROFILE

○鎌倉幕府第14代執権
○北条得宗家嫡流(9代)
○北条貞時の三男。時宗は祖父にあたる
○従四位下・相模守・修理権大夫
○幼名は成寿丸
○法号は崇鑑
○趣味は闘犬と田楽鑑賞

後世に記された『保暦間記』には、「頗る亡気(うつけ)の躰にて、将軍家の執権も叶い難かりけり」とある。

北条高時の生涯

ご参考までに北条高時に関する年譜をつくりました。
和暦は南北朝で異なりますが、北条氏に都合のいい方を選びました。
正確性を担保するものではありませんので、念のため。



嘉元元(1303) 
北条高時生まれる。幼名は成寿丸

嘉元3 (1305) 
4.23 連署北条時村誅せられる
5.4  内管領北条宗方誅せられる

徳治3 (1308)
7.9 8代将軍久明親王帰京
8.26 守邦王が9代将軍となる

延喜2 (1309)
1.21 高時元服(7歳)

応長元(1311) 
6.23 高時左馬権守となる(9歳)
10.3 北条師時の死により大仏宗宣が執権となる
10.26 北条貞時卒し、高時、得宗家を継ぐ(14歳)

正和元(1312) 
6.2 北条煕時が執権となる

正和4 (1315) 
8.12 北条基時が執権となる

正和5 (1315) 
7.10 高時、執権となる

文保元(1317) 
3.10 高時相模守となる
4 大覚寺統、持明院統の間で文保の和談成る

文保2 (1318) 
2.26 後醍醐天皇即位

元応2 (1320) 
出羽国で蝦夷が反乱をおこす

元享元(1321) 
12.9 後醍醐天皇、院政を停止し、天皇親政とする

元享2 (1322)
奥州安東氏の乱の鎮圧に幕府軍を派遣する

元享3 (1323) 
10.19 高時、円覚寺で父・貞時の13回忌法要を営む

正中元 (1323) 
9.23 後醍醐天皇の討幕計画が露見する(正中の変)

正中2 (1325) 
1.3 高時の館より出火する

嘉暦元(1326) 
3.13 高時、病のため出家する。法名は崇鑑
3.16 金沢貞顕が執権となるも26日に出家、辞任
4.24 赤橋守時が執権となる

嘉暦2 (1327) 
1 高時、元僧正澄を建長寺に迎える
10.1 高時、円覚寺十八制符を定める
10.5 高時、崇寿寺銅像を鋳造する

元徳元(1329) 
8 高時、夢窓疎石を円覚寺の住持とする

元徳2 (1330) 
2 高時、明極楚俊を建長寺の住持とする
10.1 高時、常陸長勝寺を関東祈願所とし銅鐘を鋳造する

元徳3 (1331) 
4.23 後醍醐天皇再度の討幕計画が露見。元弘の変はじまる

元弘元(1331) 
8.6 高時、内管領長崎高資の誅殺を企てるも発覚する
8.27 後醍醐天皇、笠置山に逃れる
9.5 大仏貞直、足利高氏ら、幕府軍を率いて西上する
9.11 楠木正成、赤坂城で挙兵する
9.20 光厳天皇が践祚する
9.29 後醍醐天皇捕らえられる
10.21 赤坂城が陥落する

正慶元 (1332) 
3.7 後醍醐天皇を隠岐に配流する
4.14 高時、浄智寺の鐘を鋳造する
6.3 日野俊基、鎌倉で処刑される
12 楠木正成が再挙し、湯浅定仏を攻める

正慶2 (1333) 
1.17 楠木正成、天王寺に陣し、六波羅軍を破る
2 赤松則村が播磨国で挙兵する
2 幕府軍が吉野山で挙兵した護良親王を破るも護良親王は脱出する
閏2.24 後醍醐天皇、隠岐を脱出する
3.27 名越高家、足利高氏ら鎌倉を出立する
4.10 後醍醐天皇、高時追討の綸旨を足利高氏に下す
4.29 足利高氏、丹波国篠村で反北条の兵を挙げる
5.7 足利高氏、六波羅を滅ぼす
5.8 新田義貞が離反。上野国で挙兵し鎌倉を目指す
5.9 北条仲時、近江国番場宿の蓮華寺で一族432人と共に自刃する
5.9 武蔵国で足利千寿王が新田軍と合流する
5.11 新田義貞、小手指原で幕府軍を破る
5.15 新田義貞、分倍河原で北条泰家率いる幕府軍を破る
5.16 鎌倉攻めがはじまり執権赤橋守時が自刃する
5.22 高時、東勝寺にて一族283人と供に自刃(31歳。鎌倉幕府は滅亡する
5.25 鎮西探題北条英時が博多で自刃する

元弘3 (1333) 
6 建武の新政がはじまる
9.1 高時の百箇日法要が建長寺で行われる
10 北畠顕家が義良親王を奉じて陸奥国へ赴任する(陸奥将軍府)
12 足利直義が成良親王を奉じて鎌倉に赴任する(鎌倉将軍府)

建武元(1334) 
※この年、各地で北条与党による乱が頻発する
1 北条一門の規矩高政、糸田貞義が豊前国帆柱山城で挙兵(規矩・糸田の乱)
3 本間・渋谷一党が相模で乱をおこす
7 規矩・糸田の乱、鎮圧される
10 護良親王か捕らえられ、鎌倉へ幽閉される

建武2 (1335) 
6 西園寺公宗、北条泰家とともに幕府再興と後醍醐天皇暗殺を企てるが露見
7.14 諏訪頼重、信濃国で亀寿丸(北条時行)を奉じて兵を挙げる
7.25 北条時行、鎌倉を占領する
8.17  北条時行、足利尊氏に鎌倉を奪われる。足利尊氏は鎌倉に残る
12.11 足利尊氏、新田義貞を箱根・竹の下に破る

建武3 (1336) 
1 足利尊氏、京都で楠木正成、新田義貞、北畠顕家らに敗れ九州に退く
3.2 足利尊氏、九州で再起し、菊池武敏を破る
7.4 湊川で楠木正成が討死する
8.15 北朝の光明天皇が即位。後醍醐天皇は吉野へ移る

延元2 (1338) 
7 北条時行、後醍醐天皇より朝敵恩赦の綸旨を受け、南朝に属す
12.23 北条時行、北畠顕家軍と合流し鎌倉を占領。美濃国青野原に転戦し勝利

延元3 (1338) 
5.22 北畠顕家、和泉国石津の戦いで高師直に敗れ、戦死する
閏7月 新田義貞、越前藤島にて討死する

延元4 (1339) 
8.16 後醍醐天皇が崩御する

興国元(1340) 
6 北条時行、信濃国大徳王寺城で挙兵4ヶ月で落城する

文和元(1352) 
閏2.16 北条時行、新田義宗・義興に呼応して伊豆で挙兵。鎌倉を占拠する
閏2.20 北条時行、相模国国府津へ退く

文和2 (1353) 
春 足利尊氏、北条一族の冥福のため高時屋敷跡に宝戒寺を建立
5.20 北条時行が捕らえられ、鎌倉竜ノ口で斬首。北条得宗家はここに断絶

正平20(1365) 
足利義詮、故・北条高時三十三回忌をとりおこなう




参考文献

 『北条高時のすべて』 佐藤和彦編 新人物往来社
 『鎌倉北条氏の興亡』 奥富敬之著 吉川弘文館
 『北条高時と金沢貞顕』 永井晋著 山川出版社
 『北条得宗家の工房』 岡田精一著 新人物往来社

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